この世に正義なんてない − 訴訟大国アメリカ −

この世に正義なんてない − 訴訟大国アメリカ −

アメリカで生活していると、つくづく「この世には正義なんてものはないのだ」と思わされる。ここ訴訟大国アメリカでは、すべては勝つか負けるかの勝負であり、何が正しくて何が間違っているかなんて問題ではない。過程は重要ではなく、結果がすべてなのだ。

「訴訟大国アメリカ」とはよく聞く言葉だが、実際にアメリカで暮らしていると、驚くほど生活トラブルが多い。そして、それを解決する手っ取り早い方法が訴訟。

 

 

日本で生活していると、ほとんどの人は訴訟や裁判とは無縁の生活を送っている。トラブルを起こしたくない、なるべく平和に過ごしたい私たち日本人は、ちょっとやそっとのことで他人を訴えたりしない。訴訟を起こすということは、あらゆる手を尽くしてもどうにもならない場合の最終手段として考えられているからだ。

しかしアメリカは違う。日本育ちの人間にとっては驚くべきことだが、何かトラブルがあればすぐに訴訟にもっていかれる。なぜアメリカでは訴訟がこんなに多いのかというと、大きな理由には「Contingency fee」、成功報酬制度が挙げられる。つまり、勝訴すれば費用を払う、敗訴した場合は費用を払わなくて良いということだ。勝訴するということは相手側から賠償金をもらえるということなので、弁護士費用は賠償金からまかなえる。逆に敗訴した場合は弁護士費用を支払う必要がない。いずれにせよ、訴える側の人間は自腹を切る必要がないので気軽に訴訟を起こせるのである。

アメリカでの過去の訴訟事例を見ると実におもしろい。そんなことで?と耳を疑いたくなるようなちっぽけな訴訟やくだらない訴訟がごまんとあるのだ。たとえば、マクドナルドがホットコーヒーで訴えられた件。ある客がマクドナルドで注文した熱々のコーヒーをこぼして火傷し、訴訟を起こして推定7000万円を勝ち取ったという事件だ。そのほかにも、テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」でハロウィン・アトラクションが怖すぎたからと訴訟を起こし慰謝料を得た事例もある。

また、最終的には取り下げられる結果にはなっているが、Google マップのせいで危ない道を歩かされたという理由でグーグル社を訴えた例や、就職ができないからと大学を訴えた例など、数え上げたらきりがない。ビジネス関連の訴訟も桁違いに多く、アメリカの法律を理解していない日系企業が訴えられるケースも多数聞く。

アメリカはとにかく、異常なほどに訴訟精神が根づいた国なのである。

 

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すべてがビジネスライクなアメリカでは、一度訴訟になると「どうやってお金にするか」が弁護士にとって一番重要なポイントとなる。重要なのは何が事実か、何が正しいかではなく、すべては「訴訟に勝ってお金にすること」なのだ。だから弁護士は言いたい放題の喧嘩で自分の言い分を言い切り、あれこれともっともらしい言い訳や理由をつけて相手を納得させにかかる。口が達者であればあるほど、訴訟に勝てる優秀な弁護士になれるのである。要は「言ったもの勝ち」なのだ。

よく耳にするのは、交通事故による訴訟だ。私の知人で玉突き事故に巻き込まれたという人がいた。知人の車から見て2台後ろの車が真後ろの車に勢いよくぶつかり、その反動で真後ろの車が知人の車にぶつかったのだという。もちろん、この場合どう考えても私の知人は被害者であり、車の修理費は加害者から支払ってもらう正当な権利がある。しかし、結果的に知人は賠償金をもらうことはなかった。

交通事故が起きた場合、保険会社が各関係者から事情聴取を行い、誰が何を支払うかを保険会社同士で話し合う。知人の場合、後ろの車からの過失であることは間違いないが、2台後ろの車と1台後ろの車とどちらの過失によるものかを判断できないからという理由で、保険金を請求できなかったのだという。

いやいや、それはおかしいだろう。知人が被害者であることは誰の目から見ても明らかなのだから、後ろの車のどちらでも良いから保険金を支払うべきである。どちらの過失か決められないから払わないというのはおかしい。しかし、彼女は結局、自腹で車を修理したのだそうだ。

また、ほかの知人は、明らかに相手の不注意で車をぶつけられて修理が必要となった。その現場では相手も自分の過失だと分かっているようで、素直に保険会社の情報を交換したのだという。しかし、実際に保険会社を通して事情聴取をしたところ、「自分の過失ではない」と主張を一転したそうだ。しかも相手には同乗者がおり、2人は口を揃えて事実とは異なる状況を説明したのだという。

アメリカでの交通事故は、第三者による目撃証言が大きな意味を持つ。この同乗者の証言は重要な証拠として認識され、知人は相手の過失であることを証明できなかったのだそうだ。

そもそも、同乗者の証言が第三者の証言として認められるという事実がおかしくないだろうか? 事故に関わった車に乗っていた人物なんて、そちら側に有利な証言しかしないだろう。公平な証言など期待できるはずがない。

しかし、アメリカではこれが現実だ。正義なんてものはない。あるのは人を言いくるめて納得させられる達者な口だけ。所詮、正義なんてものは自己満足に過ぎず、現実社会に夢なんて抱いてはいけない。

それをアメリカに来てよく学んでいる今日この頃である。