イエローストーンの春 Vol.1

イエローストーンの春 Vol.1

春。それは、生きとし生けるものが長い眠りから目覚め、世界に彩りが蘇る季節。冬の間、声を閉ざし静寂に包まれていた木々たちが、若葉色の美しい葉をたたえ、そよ風にのって囁き合う。眠っていた世界が再び動き出すその瞬間が、私は好きだ。

イエローストーン国立公園の春は、生命の喜びに満ちている。青々とした芝生が広がり、木々には若葉が生い茂り、色とりどりの花々が一斉に花開く。花の香りに惹かれた蝶がひらひらと舞い、暖かい春の日差しの下で鳥たちは元気にさえずり、出産を迎えた動物たちの母が子を連れて歩く。限られた季節にしか見られない、美しい光景だ。

ワイオミングの北西に位置するイエローストーン国立公園には、春が遅れてやってくる。5、6月頃にやっと気候が暖かくなってくるが、標高の高いエリアはまだまだ雪景色だ。完全に暖かくなる前の5月下旬。まだ肌寒い日々が続くが、立ち入り禁止のエリアが多かったイエローストーンの大半は、訪問客に向けてその扉を開く。

今回は、ノースイースト・エントランスから園内へ入った。エントランスを入ってしばらくは、道路に沿って針葉樹林が続く。そのうち突然視界が開けて、丘が連なる広々とした原野へと突入する。Lamar Valleyと呼ばれる谷だ。ここの景色がとてもいい。朝露に濡れた芝が太陽の光を反射してキラキラと輝く広い丘に、群れを成すのは野生のバイソン。

のんびりと寝そべるもの、草を食むもの、こどもを連れてゆったりと歩くもの。彼らの行動には、人々が日々、いかなる時でも干渉される時間の制限というものを感じさせない。野生だから当たり前なのだが、これが本来の生き物の姿なのだと、しみじみと実感した。

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群れから離れて立ち尽くす、ある1頭のバイソンの写真を撮ろうと思い、カメラを向けた。その距離は50メートルくらいあっただろうか。レンズを通してそのバイソンを見ると、向こうもこちらに顔を向けた。目が合った、ような気がした。その目は意外にも、知性を備えているように見えた。5秒ほど見つめ合った後、気に留めるほどの存在ではないとみなしたのか、ふいと顔を逸らして巨体をゴロンと転がし、寝そべってしまった。ほんのひと時の、取るに足りない出来事だったが、なぜだかその時のことが鮮明に頭に残っている。

イエローストーンでは、野生生物に近づかないようにという注意書きをよく見かける。これ以上近寄ってはいけないという基準となる距離が、動物によって決められている。必要以上に近寄って、お互いが安全でいられる許容範囲を超えてしまわないようにとの配慮からだ。だから、野生の動物を見るために訪れる人々は、望遠鏡を持ってやって来る。大きな望遠鏡を持った人だかりができていると、彼らの目の先には必ず動物がいる。

私も人だかりを見つけてはその集団に紛れ、ブラックベアやエルク、シカなど、さまざまな動物を見た。ある場所では、ヤギの親子を見た。大人のヤギが2匹、向かい合って立っているその周りを、2匹の子ヤギが元気に走り回る。父母とこどもたちなのか、それとも2組の親子なのかは分からない。子ヤギたちは、やっと走れるようになったことが嬉しくてたまらないのか、春の訪れを喜んでいるのか、とにかく力の限りピョンピョンと飛び跳ねながら追いかけっこをしていた。

なんという生命の力強さだろう。これが生きるということなのだろうと、ふと思った。文明が発達し、自然との暮らしから隔たりを作って生活するようになった私たち人間には、生の本来の意味が見えなくなってしまった。でも、目の前に広がるこの光景の中にあるのは、ただ純粋に、生きることだけを考えた生命の営みだった。