プエブロ族のルーツ、チャコ・キャニオン

プエブロ族のルーツ、チャコ・キャニオン

ニューメキシコ州やアリゾナ州などアメリカ南西部の広大なエリアでは、2000年以上もの間、アメリカ先住民族であるプエブロ族が生活を営んできた。なかでもニューメキシコ州北西部のチャコ・キャニオンと呼ばれる峡谷は古代プエブロ文化のルーツであり、中心地として発展した場所。今も謎が多い古代プエブロ族とは、いったいどんな人々だったのだろうか。

 

 

高度な技術を備えた古代都市

チャコ・キャニオンが古代プエブロ族の都として機能していたのは、紀元後850〜1250年の間。1020〜1110年に最盛期を迎え、宗教儀礼や政治、貿易が行われる古代プエブロ族の中心都市としての役割を担っていた。サン・ファン盆地と呼ばれるこの辺り一帯には1130年頃から長期の干ばつが起こり、生活が困難となった多くのプエブロ族がこの地を放棄したのだという。

チャコ・キャニオンには、繁栄時の住宅や宗教施設など古代プエブロ族が生活した形跡が今も残っている。特筆すべきは彼らが築いた無数の集落群だ。現在、ここでは大きな集落跡が12、小さな集落跡が400以上も発見されている。それぞれの集落にはアドビ建築と呼ばれる日干しレンガ造りの集合住宅や公共施設、キヴァと呼ばれる宗教儀式に使われた施設などが整備されている。建築物は、儀式や貿易、政治活動などを主な用途としていたようだ。特に「グレートハウス」と呼ばれる5階以上の階層を持つ建築物は圧巻。地面を円形に掘って造られた巨大なキヴァをはじめ、これらの建物は古代プエブロ独自の建築様式だ。

この大規模ながら洗練された緻密な建築様式は、チャコの人々が高度な建築技術を持っていたことを示している。古代プエブロ族の歴史と宗教概念を解き明かす重要な考古学的資料として、1987年に世界文化遺産に登録された。

 

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世界遺産を散策

世界遺産としては、チャコ文化国立歴史公園、アズテック遺跡国立モニュメント、そしていくつかの小規模な史跡をまとめて「チャコ文化」の名で登録されている。集落跡には2〜5階建ての日干しレンガ造りの壁や松で作られた梁などがどれも良好な保存状態で残っており、複雑で緻密な建築物の仕組みや当時の人々の暮らしぶりを今もうかがうことができる。

まずはチャコ文化国立歴史公園へ。ビジターセンターを起点として、6つの主な史跡をめぐりながら1周できる約9マイルのキャニオン・ループ・ドライブをぐるりと回ってみよう。ビジターセンターからすぐのUna Vida(ウナ・ヴィダ)は、チャコ・キャニオンの中でもっとも東に位置する史跡。1マイルのトレイルを歩いて集落跡を見て回ることができ、さらに奥へ進むと岩壁に動物や人の絵が彫られた象形文字ペトログリフも見られる。

次のポイントは、Hungo Pavi(ハンゴ・パヴィ)。まだ発掘が完了していない史跡だが、150の部屋と巨大なキヴァがある大規模な集落跡だ。ここもトレイルを歩いて周囲を見て回ることが可能。

ループ・ドライブの折り返し地点に位置するPueblo Bonito(プエブロ・ボニート)は、チャコ・キャニオン最大規模の史跡だ。この集落では、当時もっとも重要な宗教儀礼が行われていたのだそう。約5エーカーの広さに650もの部屋と30以上のキヴァが備えられている。まさにここをチャコ文化の中心地として、コロラド州やユタ州、アリゾナ州までプエブロ族の文化が広がったと考えられている。プエブロ・ボニートとその隣の史跡、Chetro Ketl(チェトロ・ケトル)はトレイルで繋がっているので歩いてみるといいだろう。チェトロ・ケトルは3エーカー以上の規模を誇る史跡で、2番目に広い集落跡だ。プエブロ・ボニートからチェトロ・ケトルまでの道の脇には、ペトログリフが彫られた岩壁も残っている。

チャコ文化国立歴史公園から車で1時間半ほど北上したところには、アズテック遺跡国立モニュメントがある。時間があればぜひこちらにも足を伸ばして欲しい。ここで出土された土器などを調べるとチャコ・キャニオンのものと類似性が見られ、チャコ文化に関連性があるとして世界遺産の構成資産に認められた。アズテックにも、大規模な集落跡が良質な保存状態で残っている。宗教儀式に使われたキヴァの中に入ることも可能だ。

ミステリアスな冒険へ

まだ解明されていない部分も残るチャコ文化。史跡に足を踏み入れ、古の暮らしに想いを馳せてみてはいかが?

 

写真提供:NPS Photo